なぜ公共の場で「通話」をしてはいけないのか

障害者年金の申請のために区役所に行く。

書き直しがあり、今日で3度目。

 

途中牛丼屋に寄り、糖質制限中なので牛皿を頼むが牛皿定食を出される。まあよくある事なので注文を訂正してもらったのだが、返金額に違和感を感じ、レシートをよく見ているとクーポンによる割引分がない。店員にクレームを入れるが全く謝罪の言葉もなく、話も要領を得ないので、低血糖状態という事もありキレる。

 

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店を出る時に「彼女がいたらこんな事でキレないだろうな。俺はなんて不幸なおっさんなんだろう」と思った。こうやって文章にしてみると、他責性の強い甘えたおっさんだなと改めて思う。

 

手帳を見せ半額料金でバスに乗り区役所へ。

 

暇なのでバスに乗車中に、「電車や病院の待合室で携帯による通話をしてはいけない理由」について考えてみる。実際バスの中には、「優先席付近では電源を切り、それ以外の場所ではマナーモードに設定して通話はお控え下さい」とあった。

 

多くの日本人は何の疑問も抱かずにこのルールに従っていると思うが、私はよく分からない。

 

1. 電源を切る必要性。

2. 通話は禁止されているのに、同乗者との会話、あるいは独り言は認められている事。

 

1はペースメーカーへの配慮としてある程度納得できる。最近は新しいペースメーカーには影響が無いとして、徐々に「電源を切る」旨の記載は減っている。

 

2については整合性が全く分からない。「マナーモードにしていないと着信音がうるさい」というのはいくらか分かる(子供の奇声よりはずっとマシだが)。

しかし、同乗者との会話と通話の迷惑度は同程度。むしろ同乗者との会話は、携帯通話よりも人数分倍加した迷惑度だろう。つまり、「通話よりも会話の方が迷惑」なのである。

この矛盾を合理的に説明できる人がいるだろうか。

 

ところで上記のような問題は観念的なものである。

 

実際の生活において問題となるのは、「右足の親指だけ靴に接触して痛い」などの些細ではあるが深刻な悩みである。

どうも『浮き指』という足の形態異常によるものらしいが、左右で足のサイズが違うせいもあるだろう。左は26.5、右は27.0の靴を履いているのだが、それでも接触する。

では右を27.5にすればいいかというと、そうすると足首やかかとを痛める。おそらく私に合う靴が非常に少ないのだろうが、こういった問題が「観念的ではない現実の悩み」である。

 

右足がわずかに接触し、わずかに痛いなあと思いつつ、わずかに憂鬱になりながら区役所の窓口へ向かう。

 

申請書が非常にめんどくさい。

自己申告書というのがあり、数年単位又は病院ごとに別の欄に書くのだが、症状や生活状況など全く同じ内容を重複して書かなければならない。

専門家が作成した診断書に、「精神障害があり、治る見込みは不明で日常生活にも問題がある」とはっきり書かれているのだからその通りだろうと思うが、全ては決まりだから仕方ない。

 

カフカの『城』のように、たらい回しにされた挙げ句に目的を達成できないという事はないが、役所という場所は非合理・非効率な組織である。

これだけ無能な組織に有能な職員が集結するのだから、日本という国は真に官僚制国家なのだなあ。

 

最後に「これだけの申告書を書ける人物は、相当高い労働力を持っているでしょうね」と嫌味を言うが、全く完全にスルーされる。

 

それにしても、ゆうちょ銀行が元々郵政省直下の事業である「郵貯」だったのは分かるが、なぜ一般金融機関と同じ扱いではなかったのか不思議である。

金融機関コードや支店名、口座番号等、一般金融機関と同じでも何の問題も無かったと思うのだが、そこは役人。常に物事を面倒な方向に持っていくのが彼らの仕事なのだ。

 

帰りに新しくできたチェーンのパン屋で『ツナマヨ』を頼み、寒い中公園で食べる。温かいパンを期待していたのだが、冷え切ったパンでコンビニのツナマヨパンよりも不味い事に愕然とする。

 

スーパーでストゼロを買って家で飲むが、信じられないほどまずい。悪酔いしながらもしっかりと歯を磨いて寝た。