よっさんの配信は「人生業」ではなくフィクションだ

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「よっさん」はすごく有名だ。

ニコ生、ツイキャスといったインターネット配信をあまり見ない人でも結構知っている。

 

私もニコ生は初期から見ていて、ユーザー放送はあまり見ていなかったが、そんな私でもちょくちょく名前を聞いていた。

 

最近、彼の今までの配信歴みたいなもののアウトラインを見たのだが、インターネット配信業を「人生業」と言っているらしい。

 

自分の配信は人生そのものだとでも言うのか。

 

「人間の本性は極めてゲスいもので、水は低きに流れる。自分はみんなが我慢しているような事でも、やりたければやる。だからみんな俺を好きになってくれるし応援されている」

 

こんな風に考えているように見えるし、実際にそんな事を言っている。

 

人間はゲスいし、水は低きに流れるし、よっさんは人気がある。

全部正しいと思う。

 

エンターテイナーとしては圧倒的に正しい生き様だと思うが、大昔の文豪や芸人のような、破滅的な挟持を感じる。

 

私はそれを不自然に感じるし、人間的だとは思わない。

よっさんの配信はたまに見ると面白いのだが、ずっと見ていたくはない。

 

これは人生ではないなと思うのだ。

 

酒を飲み、スカイプで意味不明な喧嘩をしたりすれば、リスナーは喜ぶ。

しかし人はすぐに飽きる。

もっと過激な事をやれと要求する。

配信者はリスナーの要求に敏感だ。

 

もっと酒を呑み、もっと太り、もっと病気になって、最後には死んでしまえばいいとさえ思われている。

大道芸人やプロレスラーよりも酷い扱いかもしれない。

 

たった一人でリアルタイムで人を楽しませるのは容易ではないと思う。

ユーチューバーは予め用意したネタで、動画をカットしまくってコンテンツを作っている。

 

配信者の場合、人生の切り売りだ。

 

2000万の貯金があると言われているが、内臓がボロボロで足を切断して杖をついて歩く姿を見て、羨ましいと感じる人は少ないだろう。

 

少し優秀ならみんなもっとラクに稼いでいる。

 

「こいつはクズだから、俺もクズだから、こいつの破滅を楽しむだけ」

こんな風に居直って見るのならいい。

 

だが、これがリアルな人生だと言われると違うと思う。

 

少し前に流行ったアドラー心理学で、解説本を出した岸見一郎は

「普通の人になる勇気」

を提唱した。

 

普通の人は承認されない。

有名にもなれないし、誰からも称賛されない。

金持ちにもなれないだろう。

だが、普通の幸福がある。

 

よっさんの配信を見ていると、

「普通の人生って素晴らしいんだな。幸福なんだな」

と感じる。

 

ただし、繰り返しになるがエンターテイナーとしては稀有の存在だし、プロ意識とセンス、覚悟はすごい。

下手なテレビ芸人より面白いだろう。

 

だが、全てを切り売りする配信者は、所詮は普通の人生ではないし、普通の幸福はない。

それはいわゆる人生ではないし、リアリティがない。

 

私自身がまさにそうだけど、過疎配信者の方がリアルだ。

特に面白いこともできず、全てを投げ出すこともできず、何もかもが中途半端。

 

それが人生だと思うし、普通のおっさんだ。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

ところでよっさんは何か本を出してないのかとアマゾンを検索してみたんだけど無いのね。

一冊くらい対談本出していてもよさそうだけど。

 

結局一般の人は全然知らなかったり興味が無かったりなんだろうな。